「娘の4回目の海外体験」(2009.1.9号)

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  ■ 日程表
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12月24日(水) 
  10:10 福岡発  11:10 関西空港着
  14:00 関西空港発 19:00 ローマ着 
   
12月25日(木)
  10:30 ローマ発 11:55 フィレンツェ着
        (電車ICで移動、フィレンツェ泊) 

12月26日(金) 移動なし  
        (フィレンツェ泊)

12月27日(土)
  10:30頃 フィレンツェ発 12:00頃 ピサ着
  16:00頃 ピサ発 17:30頃 フィレンツェ着
        (ローカル列車で移動、フィレンツェ泊)

12月28日(日) 
  10:30 フィレンツェ発 12:30頃 ローマ着
        (電車ユーロスターで移動、ローマ泊)

12月29日(月)- 12月31日(水) 移動なし  
        (ローマ泊)

1月1日(木) 
  21:00 ローマ発  (機中泊)

1月2日(金) 
  17:00 成田着
  19:55 成田発    21:50 福岡着
     

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  ■ 娘の様子
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12月24日(水) 
    
 今回は父は仕事で来られないが、祖父母が一緒なので、
 「おじいちゃまもおばあちゃまも英語ができないから、
  何でも自分で尋ねたりするんだよ。」と最初にクギを
 さしておく。

 福岡空港で軽く食事後、関西空港へ。

 関西空港に着き、ここでも軽く食事後、出国手続きし飛行機へ。
 今回の往路はアリタリア航空機。座席にはパーソナルテレビ
 があり、早速ゲームで遊ぶ。
 持ってきた冬休みの宿題やくもんのプリントは、はなから
 する気配なし。
 「サンタさん、今日の夜来るんだよね。福岡に来るのかな、
  イタリアに来るのかな?」
 「やるべきことやってないから、今年は来ないんじゃないの?」
 と言うと不安そうにする。

 食事後に眠ってしまい、皆が寝る時間には起きて、私の母や
 私の睡眠の邪魔をする。
 トイレは一人で行ってくれるので、助かる。
 着陸前のお食事の時にはまた眠ってしまい、いつもながら
 アマノジャクで困る。

 ローマ到着後は入国審査の時に日本語で声をかけられ、
 ニッコリする。
 空港からローマ市内までの鉄道の切符を買う際に、係の人
 からチョコをもらって喜ぶ。
 切符には各自で刻印をせねばならないが、ギリギリ6才で
 切符のない娘は、みんなの切符を取って刻印をする。

 同じコンパートメントに乗ってきた女性2人が
 「グラシアス」と言ったので、「スペイン語だね」というと
 「イタリア語は何だっけ?」と興味を示す。「グラーチェ
 だよ」というと「さっきチョコをもらった時に、そう
 言えばよかったね」という。

 ローマ中央駅(テルミニ)で地下鉄に乗り換え、ホテルに
 向かう。
 到着後はホテルのバーで軽く飲食し、休む。
   
12月25日(木) 

 朝、ホテルで朝食。イタリアらしく、朝から甘いパンや
 ケーキがある。
 クリスマスなので、食卓にもそれらしい飾りつけがしてある。
 チーズがすきな娘は早速チーズを試すが、好みではなかった
 様子。

 28日からもこのホテルに泊まるのだが、一応、チェック
 アウトして、タクシーで中央駅へ。
 地下鉄で一駅だが、荷物がなければ楽に歩ける距離だった。
 駅のスーパーでシャンパンや紙コップなどを買い、列車で
 フィレンツェへ。
 列車の中でもクリスマスなので、お菓子のサービスがあった。
 お昼頃着いてホテルへ。駅前の教会の裏にある、古風な
 ホテル。
 寄木細工のテーブルやたんすにラファエロやダビンチの絵
 などがある、2間続きのファミリールーム。
 娘の関心は家具のひとつひとつに鍵がついていること。
 早速すべてを開け、また閉めてみる。
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        (ホテルの部屋で。家具の鍵が珍しい娘)

 だいたい福岡や東京と同じくらいの気候だと思っていたが、
 思ったより寒いので冬支度をして中心部へ。
 大聖堂まで歩いて10分ほど。写真好きな娘は天国の門という
 金色の扉や、大聖堂の彫刻を撮りまくる。
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        (上:天国の門、下:大聖堂)

 クリスマスでお店はほとんど閉まっているが、さらに歩いて
 ベッキオ橋まで来る。
 ここもほとんどお店はやっていないが、観光客は多い。

 ホテルの近くのレストランで食事。
 イタリアは午後3時から7時くらいまでレストランはしまって
 しまうが、ここは開いており、本場のスパゲティーやピザ
 を楽しむ。
 これまでだと時差で、着いた翌日は早くから眠ってしまう
 娘だったが、さすがに小学生になったら食事中に寝るような
 ことはなくなった。

 ホテルでは自分で英語で鍵を受け取り、エレベータガールをし、
 みんなを案内するが、鍵をさして右に強くまわして押し開ける
 方式の部屋の鍵は、指先の力が足りないのか無理だった。

12月26日(金)

 朝はこちらのホテルでも豪華な朝食。
 家族の分のコーヒーと紅茶を代表して頼むと「ピッコロ、
 キュートボーイ」と言われ複雑な顔をする。

 この日はホテル経由で予約を入れてもらったウフィツィ
 美術館に行く。
 (ネットで日本から予約しようとしたら、予約料が入場料の
  倍以上だったのでホテルに予約を頼んでおいたが、正解。
  ほぼ半額で入場できた)
 以前に訪れた時にかなり並んだので予約を入れたが、この日
 は予約なしでもほとんど関係ないほど少なかった。 
 娘はまだあまり美術には興味なし。「私、美術館行きたく
 ない!」と言っていたが、「ここに来たら見なきゃ
 いけないの!」とここは無理に連れて行く。
 ボッティチェリの「ビーナスの誕生」「春」の部屋に来ても、
 「この絵、天神(福岡)の地下鉄のところのポスターにあった」
 というだけで、特に関心なし。
 彫刻は好きなようであることと、聖書の題材には興味を
 持ち始めている様子が伺えた。
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        (ウフィツィ美術館のベランダにて:祖父母と)

 ウフィツィ美術館のカフェで軽く食事をした後、あまりいい
 ことではないが、少し歩いたところにある美術館もはしご
 することにした。
 娘は「行きたくないな」と言ったが、カトリックのイタリア
 では26日も祭日でお店はほとんどしまっており、他に行く
 ところもないことを説明し、サンマルコ美術館という修道院を
 改装した美術館に向かう。

 途中にあるアカデミア美術館はきっと行列だろうから、帰りに
 少なくなった頃に入ろうと思ったら、こちらも待ち時間なし。
 通り道なので、こちらから入る。
 ここは入り口の反対側にガイドブックには石を研磨する技術の
 博物館がつながっていると書かれていたが、訪れた時は楽器の
 仕組みが展示されており、娘はピアノやチェンバロの音の出る
 仕組みなどを喜んで体験した。
 ここアカデミア美術館の目玉はなんといってもミケランジェロ
 のダビデ。私の父には想像したより大きかった様子。
 「どんな角度からも見られるから、ぐるっとまわってじっくり
 見てね。」と時間を取った。
 しばらくして「しっかり見た?」と聞くと、「ひとつだけ
 見られない角度があったよ。」と言う。「え、どこよ?」
 「頭の上から。」
 子どもの柔軟な頭は侮れないと、頭の固くなった大人3人は反省。
   
 少し先にサンマルコ美術館ではフラアンジェリコの優しい
 「受胎告知」が階段を上ったところに掲げられている。   
 初めて見た時、私は見入ってしまったのだが、同行の3人は
 サッと流して修道院の個室の方が興味深い様子。
 階下の食堂には最後の晩餐の絵があり、娘にユダの裏切りや
 使途の話をする。カトリック幼稚園だったのに、聖書の話は
 ほとんど知らず、とても興味を持っている様子。
 私も正確には覚えていないところもあるので「帰ったら
 聖書のお話を読んでみようね」と言う。

 歩いている途中のお店で生ハムと好みのチーズを切り売りして
 もらう。
 おじいさんが日本人というイタリア男性のお店だった。

 きちんとした昼食をとっていなかったので、レストランを
 探すが、この日は3時過ぎに開いているこのレストランを
 探しあてるまでに相当歩きまわり、結局、ホテルの近くの
 別のレストランで食事。
 イタリアはどこで食べても安くて美味しいので安心。
 私の母が油っこいものを食べられないかもしれないと、
 日本食レストランをチェックしていたが、心配無用だった。
 ただし、4人で3人分を分けて食べても、なかなか全部
 食べるのは難しい。

 ホテルに戻る途中、コウモリの大群が飛んでおり、娘は頭に
 フンを落とされ、次の日からコウモリ恐怖症になる。

12月27日(土)    

 朝、ホテルで朝食後、ローカル電車でピサに向かう。
 駅前からタクシーで大聖堂のある広場へ。

 寒かったけれど晴天に白亜の斜塔や大聖堂が映え、とても
 きれい。
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        (ピサの大聖堂と斜塔)

 8才以下は斜塔には登れないことと、私の両親には負担が
 大きそうなので今回は下から眺めるだけにした。
(私が以前に訪れた時は、まだ斜塔には観光客は登れなかった)

 斜塔を支えるような格好をして写真を撮ったり、お土産屋
 さんを覗いたりしてから、レストランで昼食。
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        (斜塔を支える?娘)

 私の両親がまったくメニューを見ようとせず、私に任せっきり
 なので、全員分を決めるのに時間がかかるため、娘にも
 メニューを見せて探してもらうことにした。
 自分の好きな「ニョッキ」のつづりを確認し、ちょっと得意気。 
   
 食事後はゆっくり歩いて駅に戻り、またローカル電車で
 フィレンツェに戻る。
 ホテルに戻る途中で軽食や飲み物を買い、夜はホテルの部屋
 で軽く食べる。
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        (ホテルの部屋で宿題をする娘)

12月28日(日) 

 朝、このホテルで最後の朝食をたっぷり取り、チェックアウト
 する。
 1才の男の子がいるという受付の女性が、娘に「また来てね、
 チャオ!」という。
 荷物を持って駅に向かい、列車の時間まで絵葉書を買ったり
 する。
 10:33発の列車が30分ほど遅れたので、それまで寒い駅の
 構内でさらに待つ。
 列車内は快適だったが、途中の山岳地帯では雪が降っていた。
 
 ローマに着いた時は小雨。タクシーで最初に泊まったホテル
 に向かう。
 チェックインをして一休みしてから、歩いて駅方面へ。
 この日は午後3時頃、ローマに休暇で来ているドイツの知り合い
 (留学先の教室で検査技師をしていた女性で、すでに定年退職
  している)に会う予定だったので、街の見物を兼ねて歩く。
 食事をするには中途半端な時間。共和国広場という駅近くの
 大きな噴水のある広場を通って、彼女のホテル方向へ。

 約束の時間には早いが2:30頃ホテルに着き、呼び出して
 もらう。
 13年ぶりに再会した彼女は少しふっくらした様子。
 私の両親と娘を紹介し、近くのレストラン(幸い3時前でも
 入ることができた)で一緒に食事をする。
 ドイツ語で話していると、まだ少ししかドイツ語ができない
 娘は、少し悔しそうに「わからないからつまらない」と言う。
 ドイツ語がもっとできるようになりたいと思ったのか、単に
 過去2度訪れたギゼラの家を思い出しただけなのか、
 「今年の夏はまたギゼラのところに行こうよ」と言う。

 食事を終え落ち着いたので、彼女が私達を駅付近の大きな教会
 (サンタマリア・マッジョーレ)の近くにある、古くモザイク
 が美しい小さな教会(サンタ・プラッセーデ)に案内してくれる。
 その後、近くのカフェであたたかいカプチーノを飲んで、
 しばしの再会に別れを告げる。
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        (シュビヒテンベルクさんと)

 駅のスーパーで買い物をし、ホテルに戻る。
 ここのホテルでも鍵をもらい、エレベータガールをする。
 受付で鍵をもらうために英語を話す度に「グッド・ボーイ」と
 言われ、キャンディーをもらい、苦笑する娘。

 夜はスーパーで買ってきた生ハムやカット野菜、パンを部屋
 で食べ、ゆっくりする。
 娘はフィレンツェの駅で買った「ダビデ」のハガキサイズ
 48ピースのジグソーパズルに夢中。
      
12月29日(月) 
   
 ホテルでたっぷり朝食を取った後、地下鉄でコロッセオへ。
 地下鉄を降りてすぐに目の前にそびえる建築物に少し圧倒
 された様子。
   
 グラディエーターの扮装をした男性が写真を撮らないかと
 呼び込みをしている。
 少し並んで入場券を買うが、ここでは6才の子もEU圏以外は
 大人料金。

 上の階に登って下を見下ろすと、古代建築が一望できる。
 猛獣などが入れられた地下の小部屋が想像力をかきたてる
 ようで、「誰が猛獣と戦ったの?」など、いろいろ質問する。
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        (コロッセオにて祖父母と)

 コロッセオを出て、道を挟んだフォロ・ロマーノへ行く。
 神殿のあとや元老院議員が集まった建物などが散在している。
 娘はイマイチ興味なしの様子。

 ベネチア広場に出て(大きなクリスマスツリーがあった)、
 この日は定刻にレストランを探す。
 ワインの瓶がたくさん飾られているレストランで昼食。

 食事後、少し歩いて「真実の口」があるサンタ・マリア・
 イン・コスメディン教会へ。
 イタリアに来る前に映画「ローマの休日」を復習して見て
 きた娘は、来る前は「私は絶対に手を入れないから!」と
 言っていたが、たくさんの観光客が次々に手を入れて写真を
 撮っても、誰にも何も起きないことに安心し、自分の番に
 なると抵抗なく手を入れる。
 「咬まれなかったよ!」
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        (真実の口に手を入れる娘)

 もと来た道を戻って、ユダヤ人地区や、シーザーが暗殺された
 というアレア・サクラを通り、天窓のあるローマ時代の霊廟
 パンテオンへ。
 建築物の壮大さに感銘する両親とは対照的に、クリスマス時期
 なので作られているキリスト降誕劇の人形を一生懸命眺めている。

 少し歩き疲れたので、カフェで休憩。本場のティラミスを食べる。
 とてもおいしく、アイス(イタリアン・ジェラートでこれも
 おいしい)を注文していたはずの娘に、私も母も半分以上
 食べられる。

 途中のお店で夜用のワインや生ハム、チーズなどを買い、
 トレビの泉へ。
 娘はここに来て初めてトレビの泉を知ったのだが、後ろ向きに
 コインを投げ入れるのが気に入ったらしく、とても喜んだ。
 近くのおみやげ物屋さんで、トレビの泉のジグソーパズルを買う。

 また更に歩いてスペイン広場へ。5時になり薄暗く、スペイン
 広場に設けられたクリスマスツリーに灯りがともされて幻想的。
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        (夕暮れのスペイン広場)

 あまりにも人が多いので、改めて来ることにし、そこから
 地下鉄を乗り継いでホテルに戻る。

 ダビデとトレビの泉のジグソーパズルを競争で作ったり、
 まったく一人で作ったりして遊ぶ。
     
12月30日(火) 

 朝、この日もホテルでたっぷりの朝食の後、地下鉄でバチカン
 へ。約30分ほど並んでバチカン博物館に入る。
 (ここは6才以下無料)
 「もう美術館はイヤ!」と言っていた娘だが、「ローマの美術館
  はたくさんあるけど、他は行かないから。バチカンだけは
  行っておかないとダメ!」と説得されていた。

 私の父と娘が一緒だと、ピンポイントでの名画紹介になる。
 私の母はもっとじっくり見たそうだったが、疲れさせない
 ことを考えると名画のみの紹介でよかったのかもしれない。
 しかし、ミケランジェロの「最後の審判」と「アダムの創造」
 などの天井画があるシスティーナ礼拝堂までの遠いこと。
 以前来た時はこんなに歩かなかったような...と思いながら、
 迷路のような通路を通ってやっとの思いでシスティーナ礼拝堂
 へ。
 ここでは娘はガラリと態度を変え、「誰が地獄に落ちて
 いるの?」「神様が人間を作ったの?」「アダムとイブは
 どうして天国から追い出されたの?」など、たくさんの質問を
 する。
 アダムの創造の絵を見て、「ET phone home!みたいね」
 と笑う。
 聖書はやはり一緒に読もうと思う。

 美術館の近くのレストランで食事後、サン・ピエトロ広場に
 向かう。
 ここにも中央のオベリスクの横に、同じくらいの高さの
 クリスマスツリーが用意されている。
 ボディーチェックのためしばらく列に並んで待ち、サン・
 ピエトロ大聖堂に入る。
 普通の教会と違う規模、壮麗さに圧倒された様子。

 バチカン市内のおみやげ物屋さんをのぞいた後、商業地区で
 買い物をし、地下鉄でホテルに戻る。

12月31日(水)

 この日は朝食の後、地下鉄でポポロ広場に行き、そこから
 歩いてスペイン広場に向かう。 
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        (ポポロ広場のオベリスク)

 途中、高級ブランド店の中をのぞきながらスペイン広場に着く。
 寒いのでローマの休日のアン王女のようにアイスは食べられない。
 階段を登り、上の教会まで行く。
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        (スペイン広場にて)

 再度トレビの泉を通り、ベネチア広場まで歩き、ちょうど
 いい時間に大通りから少し入ったレストランに入る。
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        (トレビの泉にコインを投げ入れる)

 食事を堪能した後、おみやげを探しにローマ三越へ。
 日本人の好きなものが集めてあるので、おみやげを買うには
 便利。
   
 共和国広場をぬけ、駅のスーパーでシャンパンなどの買い物
 をして、ホテルに戻る。
 娘の誕生ケーキを買うか、カフェで祝おうと探すが、適当な
 ものが見当たらず断念。

 夜はスペイン広場などであるだろうカウントダウンに連れて
 いきたかったが、ホテルが各広場と離れた少し静かなところに
 あるため、あきらめて、ホテルのバーでカウントダウン
 パーティーに参加することにした。

 テレビでメリー・ポピンズがあっていた(イタリア語吹替)
 ので時間までみんなでそれを見る。
 12時少し前にバーに行き、飲み物を注文する。
 12時になるとシャンパンが開けられ、みんなに振舞われ、
 一緒に新年のお祝い(と娘の誕生祝)をする。
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        (シャンパンで新年の乾杯:祖母と)

1月1日(木)

 朝からひどい雨。この旅行中に傘をほとんど使わずに済んだ
 ことに感謝する。
 ゆっくりと最後の朝食を楽しむ。それを食べるとお金持ちに
 なれるというイタリアのお正月料理が出ていたので食べたが、
 効果は?
  
 今回の旅行は私の母の体調に合わせ、ゆるめにスケジュールを
 組んだが、結局みんな毎日相当歩き、行こうかなと思っていた
 ところで最終日までに行ってないところは、ナボーナ広場と
 サンタンジェロ城くらいだった。
 雨の中を行きたくないと言うので、ホテルをチェックアウト後、
 直接空港に向かうことにした。

 タクシーで駅へ。駅から電車で空港へ。お昼過ぎに空港に
 着いたが、我々の飛行機は21時発。
 チェックインカウンターもまだ閉まったままで、ベンチで
 しばらく時を過ごし、食事をし、またベンチで過ごす。
 娘は退屈しのぎに空港内を行ったり来たり。大人達は本を
 読んで過ごす。

 ようやく午後4時過ぎにチェックインカウンターが開き、
 チェックインして荷物を預け、身軽になる。
 免税店で最後のおみやげを買い、機内へ。

 娘はパーソナルテレビを楽しんだり、ゲームをしたり、
 横になってしっかり眠ったり とマイペース。

1月2日(金)

 定刻の夕方5時に成田着。
 国内線乗り継ぎの手続きをして、国際線出発ロビーの
 お寿司屋さんへ。
 オーストラリアから帰ってきたときも、ここで食べた。
 私の母には初めてのお店だが、みんなお寿司を美味しそうに
 食べる。
   
 20時近く、福岡に向け出発。
 私はいつもこの便では熟睡するため記憶がないが、国際線
 機内でしっかり寝ていた娘は、乗務員さんとお話ししたり、
 お手紙のやり取りをして楽しんでいたらしい。

 自宅に帰りついたのは22:30頃。
 娘はサンタさんからのクリスマスプレゼントをクリスマス
 ツリーの下に発見し、大喜びする。

 お風呂に入ったり、片付けられるものだけ片付けたりして、
 気づくと夜中の3時。
 さすがに疲れて床につくが、私の母によると娘は朝5時まで
 寝ず、私の母はそれに付き合ったという。

 蛇足だが、次の日、一番疲れさせたくない私の母に、
 ひとりで山のような洗濯をさせてしまったのだった...。

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  ■ 発見と今後
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 今回は英語を使う機会はそれほど多くはなかったが、
 ほとんどツアーコンダクター状態の私の手伝いを娘は
 積極的に買ってでてくれた。
 責任を持たせて任せてしまうのが本人の成長に一番
 いいようだ。

 イタリア語は挨拶他、少し覚えようという意識があった
 ようで、いい傾向だと思う。
 かく言う私は4度目のイタリアだが、やっと各種の簡単な
 注文をイタリア語でできるようになった。(これまでは
 「生ハム100グラムください」しか言えなかった)

 イタリアのような歴史や文化に富んだところを旅すると、
 その後の発展がある。
 帰国後に英語の学習百科事典のようなもので、ローマ時代
 について楽しく勉強することができた。
 聖書についてはまだ時間が取れていないが、こちらも
 無理なくできるのではないかと思う。
 ダビンチに関しても興味を持っているようだったので、
 こちらもなんらかのアプローチをしたいと思う。

 旅行費用に関しては
  ・航空運賃 娘約 13万 (大人はひとり約16万)
    12月25日出発便だとひとり6万円高くなったので、
    娘に終業式を休ませた悪い親でした...。
  ・現地の鉄道や地下鉄等交通費 全員で約 5万円
  ・ホテル(ローマ、フィレンツェともファミリールーム)
 全員で1泊平均約 2万2千円
  ・美術館等入場料 約2千円 (大人は1人約6千円)
      +食事、お土産代
   
 娘にこんどはどこに行きたいか訪ねたところ、「ベルギーに
 行ってギゼラのところに寄る」との返事。
 理由は「ベルギーでおいしいものが食べたいから」。
 やはり1番は食い気の娘でした。


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