「娘の7回目の海外体験」(2010.8.5号)

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  ■ 日程表
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7月24日(土) 
 7:10 福岡発 (JAL)  8:55 成田着
 12:25 成田発 (JAL) 
            17:50 ミラノ・マルペンサ空港着 
 19:00前 ミラノ・マルペンサ空港発 (バス) 
            20:00前 ミラノ中央駅着
         (ミラノ泊) 
   
7月25日(日)
 8:35 ミラノ発 (電車) 11:10 ヴェネツィア着
 18:53 ヴェネツィア発 (電車) 
                20:54 ヴェローナ着
 21:40 ヴェローナ発 (電車) 23:35 ミラノ着 
         (ミラノ泊) 

7月26日(月) 
 11:10 ミラノ発 (電車) 11:40 コモ着
 13:15 コモ発 (遊覧船) 13:28 チェルノッビオ着
 14:25 チェルノッビオ発 (遊覧船) 14:38 コモ着
 18:16 コモ発 (電車) 18:46 ミラノ着           
         (ミラノ泊) 

7月27日(火)
 9:15 ミラノ発 (電車) 11:15 トリノ着
         (トリノ泊) 

7月28日(水) 
 9:00 トリノ発 (車) 11:00頃 アオスタ方面
 12:30頃 ブレイユ=セルヴィニアへ
 15:00頃 ブレイユ=セルヴィニア発 (車) 
                17:40頃 トリノ着
 18:50 トリノ発 (電車) 20:50 ミラノ着
         (ミラノ泊) 

7月29日(木) 
 12:45頃 ミラノ中央駅発 (バス) 
            13:10頃 ミラノ・リナ—テ空港着
 15:55頃 ミラノ発 (エールフランス) 17:25 パリ着 
 19:25 パリ発 
         (JAL 機中泊)

7月30日(金) 
 14時頃 成田着
 15:05 成田発 (バス) 16:35 羽田着
 17:55 羽田発 (JAL) 19:40 福岡着
     

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  ■ 娘の様子
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7月24日(土) 
    
 5時起床。5時57分の地下鉄で福岡空港へ。
 今回も昨年と同様私の母と3人の旅行。昨年と違い、自分の
 荷物を持つ。
 福岡空港では偶然、元の留学先(アメリカ)に遊びに行くと
 いう同僚と会う。

 成田空港に着き、軽く食事後、出国手続きし飛行機へ。
 今回はJAL。早々に座席のパーソナルテレビのゲームで遊ぶ。
 途中機内で両端の私と私の母に頭と足を向け、横になって寝る。
 私も私の母も「ダーリンは外国人」等の映画を楽しむ。

 ミラノ・マルペンサ空港に着き、荷物を取るが、すべて娘が
 取ってくる。
 ブルマンと言うバスで中央駅へ。
 西日が差し暑いので、カーテンを引くが、後で乗ってきた
 イタリア人に取られ、呆れて顔を見合わせる。

 中央駅近くのホテルに現地時間の午後8時前にチェックイン。
 ネットが使えるので、持ってきたパソコンを接続しメール
 確認後、今回こちらで会うことになっているノルウェー人の
 友人に着いたことを電話する。

 あまり食欲もないので、飛行機で寝て比較的元気な娘と
 中央駅に行き、夕食のサンドイッチとお寿司(!)、飲み物
 を買って戻る。
 それらを食べてお風呂に入り、みんな夜11時前に寝る。

  
7月25日(日)

 晴天。
 大人はたっぷりの朝食を取るが、娘はまだエンジンが
 かからないのか小食。
 朝のニュースでスイスの氷河特急の脱線事故があり、「今回
 行かなくてよかったね」と話す。
 (このホテルはケーブルテレビの日本語放送が入る)

 朝食後、すぐ駅へ。
 今日は長旅で疲れているので、電車の中でゆっくりできるで
 あろう、移動距離の長いヴェネツィアへ行くことに決める。
 今回はミラノ中心に動くので、事前にレールパスを買わずに
 来たため、毎回切符を買う必要がある。
 少し並んでヴェネツィアへの2等指定席を買い、飲み物を
 買って乗車する。

 2等だがテーブル付きのユーロスターで快適。3時間弱で
 ヴェネツィアに着く。
 まず3人で駅のトイレへ。並んでる間に小銭がないことに
 気づき、娘に5ユーロ札が両替できるか聞きに行かせる。
 娘は「両替機があった」と何も尋ねずに戻ってくる。

 夏の晴天のヴェネツィア。日陰は涼しいものの、日を遮る
 ものがない所はやはり暑く、リアルト橋に着く前に娘が
 「おなかすいた」と音を上げる。
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        (ベネチアの街中で:上は祖母と)

 たっぷりと朝食を取った大人はまだ食べたくないが、
 レストランへ。
 小食でも一人一品取らねばならず、娘は大盛りのリゾットを、
 私の母は山盛りのサラダを、私はチーズの盛り合わせをいただく。
 サラダは生野菜で、バルサミコ酢とオリーブオイルのボトルが
 1本ずつ来て、それと塩を自分で混ぜて好みのドレッシングを
 作って食べる。
 私はチーズの残りを紙ナフキンに包んで持ち帰る。

 食事後、更に歩いてリアルト橋を通り、サンマルコ広場へ。
 日曜なのでサンマルコ寺院は2時から開くが、そのために
 炎天下に長蛇の列ができており、私達は早々に入るのを諦め、
 ゴンドラに乗る。
 以前に主人と来た時は年末で寒くゴンドラには乗らなかったので、
 これは私も初体験。

 ゴンドラはサンマルコ広場と対岸の美しい教会、サンタ・
 マリア・デッラ・サルーテ教会の間を通り、フェニーチェ劇場
 やモーツアルトが住んだ家の横の運河を通った。
 漕ぎ手のお兄さんによると、各家に1艘のゴンドラがあるらしい。
 娘は「雨が降ったらどうするの?」とお兄さんに質問し、
 お兄さんから「そんな時は家にじっとしているよ」との
 答えをもらった。
 日曜日で運河はゴンドラの渋滞ができていたが、他のゴンドラ
 からのカンツォーネも聴けて満足。
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        (ゴンドラから見た街の風景)

 ゴンドラから降りた後、昔囚人がその橋を渡って牢獄に
 入ったという「溜息の橋」を外から見る。時間もあるし、
 中に入ってみようかと、ドゥカーレ宮殿の中に入る。
 大広間など見応えがあるところだが、娘も私の母も牢獄は
 苦手だった様子。
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            (溜息の橋)

 宮殿から出るとさすがに疲れ、広場に面したカフェで一息。
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            (広場にて)

 楽団が演奏していて、娘はアコーデオンに見とれている。
 リフレッシュした後、ヴァポレットという水上バスに乗り、
 午後6時過ぎに駅へ。

 駅で切符を買うのに30分以上並ぶ。
 やっと窓口についてミラノ中央駅までの切符が欲しいというと、
 次の1時間後に出る直通の電車はいっぱいで乗れないので、
 もう1時間後なら...と言われ、愕然とする。到着が0時を回る
 というのだ。
 ヴェローナでの乗り換えでいいなら、もう5分ほどで出るもの
 があるという。
 仕方なくその電車にした。ヴェローナまで2時間、そこで
 約1時間待って、更にミラノまで2時間、午後11時半過ぎに着く。
 出発前に電車の時刻を調べていなかったのが失敗の原因だ。
 イタリアの鉄道でもネットで簡単に調べられたのに。
 (http://orario.trenitalia.com/)
 出発の3日前に抗癌剤治療をしてきた私の母にはかなり
 申し訳なかった。

 娘がヴェネチアで買いたいと言っていたヴェネツィアン
 グラスのアクセサリーはもちろん、食料も買えずに2時間乗り、
 ロミオとジュリエットで有名な街、ヴェローナへ。娘は電車
 の中で寝る。

 ヴェローナの駅でトイレに行き、パニーニと飲み物を買って、
 次の電車へ。
 娘は食べた後にまた眠ってしまう。現地時間を頭で考えて
 行動する大人と違って、娘はいつも到着の次の日はこんな風に
 寝てしまう。
  
 午後11時半、ようやくミラノ中央駅に着き、ホテルへ。
 ホテルが駅のすぐ近くでよかった。娘と母にお詫びする。
 娘はそのまま寝ようとするが、かなり汗をかいた1日だったので、
 無理に風呂に入れて寝かせる。


7月26日(月) 

 ぐっすり寝て、朝はホテルでしっかり豪華な朝食を取る。
 娘はようやく食べるようになった。日本の普通の朝より
 食べている。

 この日はなぜかインターネットがつながらず、悪戦苦闘。
 日本の職場のパソコンに詳しい先生に電話してあれこれ
 やってみるが、やはりダメ。
 この間、娘と私の母はケーブルテレビの日本語放送を見ており、
 全くイタリアにきている感じがしない。
 とうとう諦めてホテルを出て駅へ。この日も晴天。

 今日はミラノから北に電車で30分ほどの、コモという湖が
 美しい街へ行くことにする。
 駅で切符を買うが、また相当に並ぶ。毎回並びたくなく
 なったので、本日の往復2等指定席と、明日のトリノへの
 片道ローカル切符をまとめて買う。

 11時過ぎに電車に乗り、30分ほどでコモに到着。
 駅から湖に向かって歩くが、途中の郵便局で絵葉書を出す。
 郵便局のおじさんからニッコリされて喜ぶ娘。
  
 湖で遊覧船の切符を買おうとしていると、日本人の一人旅の
 女性に声をかけられる。翌日には帰国予定だそうだ。
 「小学校3年生でこんなところに来られるなんて、いいね〜」
 と言われた娘はまんざらでもない様子。
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        (コモ湖の遊覧船上で)

 遊覧船の途中の船着場で適当に降りてみる。
 チェルノッビオと言うところ。ヴィラ・デステという有名な
 超豪華ホテルがあるらしいが、予約客のみしか入れないとの
 ことで、船着場周辺を散策し、カフェで一休みする。

 遊覧船でコモの街に戻り、大聖堂の周りを散策。
 午後3時に大聖堂が開く(12時-3時はお昼休み!)ので、
 それを待ち、中に入る。娘はろうそくを買って火を灯し、
 お供えする。
 私の母は疲れがピークに来ている様子。教会の椅子で
 しばらくウトウトするが、娘が退屈がって出ることに。
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        (コモの大聖堂前で:祖母と)
  
 露店で大きなサクランボを安く買って、その後、レストラン
 に入る。
 ここもピザ主体。これまでのローマやフィレンツェと異なり、
 娘の好きなスパゲティーやニョッキ、リゾットがあまりなく、
 少し不満な様子。
 私と娘で違う種類のピザを頼んだが、おいしいものの、
 二人とも半分しか食べられず、残りをお持ち帰り用に包んで
 もらった。

 電車でミラノに戻り、飲み物を買ってホテルに戻る。
 明日はトリノで別に1泊するため、持っていく荷物の整理をする。


7月27日(火)

 朝、ホテルでたっぷりの朝食後、荷物を持って駅へ。今日も晴天。
 今日は予め切符を買っているので飲み物だけ買って電車に乗る。
 2時間かけてトリノへ。

 駅では友人のハラルドと2人の娘、サラ(8才、娘と同じ年)、
 ソフィア(5才)が迎えに来てくれている。
 会ってすぐ、ハラルドが「何語で話そうか?」と聞いてきた。
 私とハラルドは普段のメールのやり取りはドイツ語だが、
 「娘がまだ英語しかわからないので英語で」とお願いした。

 ハラルドとはドイツ留学時代に知り合った。
 留学生活が始まる前に、留学生は各地のゲーテ・
 インスティトゥートでドイツ語を勉強させられる。
 私はゲッティンゲンに行かされたが、その入校日、受付に
 できた列で私の前に立っていた身長2メートルの大きな男が
 彼だった。
 「ノルウェーと日本だけがクジラを食べるんだ」と笑って
 言ってくれたのが、私の留学への不安をずいぶん解消してくれた。
 クラスは違ったが、会うとよく話をした。
 2か月のドイツ語研修後、私はハンブルクへ、彼はマンハイム
 へ行き、それぞれ2年間過ごしたが、帰国後に彼は
 ゲッティンゲンで同じクラスだった日本人留学生や私を
 訪ねがてら、日本旅行にやってきた。
 東京の主人のアパートに泊まった時は、布団から足がきれいに
 出ていた。
 その次の年には私が主人とともにオスロやフィヨルドを訪れたが、
 ほとんどつきっきりで案内してくれた。

 そのハラルドは現在、留学中にマンハイムで知り合った
 イタリア人の奥さんアダと娘達とオスロに住んでいる。
 夏のバカンスやクリスマスの時期はたいてい奥さんの実家の
 あるトリノで過ごしている。
 10年程経っての再会だが、ハラルドはほとんど変わって
 いなかった。
 娘と私の母は初対面で、最初は彼の大きさにビックリしていた。

 まずホテルまで案内してもらい、チェックインし、荷物を
 置いてから、トリノの中心街へ。そこで奥さんと合流し、
 レストランで昼食。
 ここでもピザが主体。彼らはみんなよく食べるので、私達は
 驚いた。
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        (ハラルドの娘たちと)

 トリノは日本ではオリンピックで知られるようになったが、
 ヨーロッパでは古都として昔らか有名な街。また車の
 フィアットでも有名。
 街中がアーケードになっていて、その中を路面電車が
 通ったりする。
 王宮や隣接の博物館を見たり、教会を見た後、映画博物館
 を併設しているタワーに上り、トリノの街を上から眺めた。
  
 サラもソフィアもハラルドと話す時はノルウェー語、
 奥さんのアダと話す時はイタリア語。
 英語はまだ話せないので、娘とは話はできないが、すぐに
 打ち解け、子ども達だけで走り回っている。
 娘はハラルドに英語で質問したり、ハラルドからの質問に
 答えたりしている。
 たまにあるサラから娘への質問はノルウェー語を介して
 英語になる。

 夕方は奥さんのアダの実家にお邪魔し、パルマの生ハムに
 メロン、土地のワイン、自家製のお料理でのおもてなしを
 受ける。
 バルコニーでお食事としゃれていたが、蚊に弱い娘は数か所
 刺され、残念ながら、お食事に集中できなかった様子。
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        (アダの実家のベランダにて)
  
 お食事の後は日本から持ってきたおみやげを渡したり、
 私達もいただいたりして、楽しい時間を過ごすことができた。
  
 ハラルドとアダにホテルまで送ってもらったが、途中、高台の
 夜景がきれいなところに寄ってくれ、トリノの夜景まで堪能
 することができた。

 ホテルは高い割にシャワーしかなく、娘は「寒い〜」と出てきた。
 私の母も「日本語放送もないよ」と言っていたが、ないのが
 普通なの!
 ここはインターネットは別料金を取られた。


7月28日(水)

 朝、今日もとてもいい天気。
 朝食がお粗末なこともあり、娘が「ミラノのホテルに帰りたい」
 と言う。

 今日は今回の旅行で私が最も楽しみにしていたマッターホルンを
 イタリア側から眺めるという場所にハラルドが連れて行ってくれる。
 9時にホテルをチェックアウトする時には、ハラルドが車で迎えに
 来てくれている。5人しか乗れないので、私達3人とハラルドと
 サラで行く。

 トリノから高速で北北西方向に向かう。イタリアは高速料金が
 必要だ。
 ずっと北西に行くとモンブランに抜けられるが、私は断然
 マッターホルン。
 留学中も含めこれまで何度も訪ねているが、いつもスイスの
 ツェルマット側からで、イタリア側から見るは初めてだ。

 トリノから2時間弱でマッターホルン(イタリア語では
 チェルビーノ)が見えて来る。スイス側から見るのとはずいぶん
 違ったどっしりとした印象だ。
 もっと近くに行きたいと思ったら、子ども達はその地点に
 あったケーブルカーに乗りたいと言う。
 仕方なくケーブルカーで上に登ると、マッターホルンは見えずに、
 さらにスキーリフトが。
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    (上:ケーブルカー乗り場前、下:エーデルワイス)

 スキーリフトにも乗るが、やはりマッターホルンは見えず。
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        (スキーリフトの上で)

 ハラルドが現地の人に聞いてくれたところ、その丘の頂上まで
 リフトに乗ると少し見えるとか。
 娘達は丘の中腹の湖の周りで、珍しいトンボを追いかけている。

 またリフトとケーブルカーで下まで降り、さらにマッターホルン
 の近くに車を進める。
 ここが最終地点かと思われるところは、ほとんどスイス・
 アルプスの雰囲気の小さな町ブレイユ=セルヴィニアだった。
 午前中あまりに天気が良かったせいで雲が発生し、そこに
 着いた時にはマッターホルンの頂上に帽子のように雲がかかり、
 いつまで待っても取れなかった。
 ハラルドも私も、ケーブルカーを後にしていれば...と悔しがった
 が、後のまつり。
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        (身長ほぼ2mのハラルドと)

 ブレイユ=セルヴィニアなんて、全く聞いたことがなかったが、
 後でグーグルマップで見ると、イタリア側からのマッターホルン
 の至近の町だということがよくわかる。
 この町のレストランでマッターホルンのを見ながら食事を取り、
 近くの「青い湖」で少し遊んで帰途につく。
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      (マッターホルンをバックに:サラと祖母と)

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            (青い湖で:祖母と)

 トリノの駅に着いたらちょうどミラノ行きが出たばかりで、
 次は1時間後だったので、ハラルドとサラにお礼を言い、
 またいつかの再会を約束して別れる。

 駅で娘はトイレの場所を尋ね、自分で食べ物や飲み物を
 買ってきた。
 昨年よりもずっと頼もしくなった印象で、私の母はただただ
 感心している。
 「これなら今度から私はついて来なくていいね」と言っていた。

 電車の中で食事をし、午後9時前にミラノに着く。
 ホテルでは明日の帰国に備え、荷造りをする。

     
7月29日(木)

 朝、曇っている。
 この日もホテルでたっぷりの朝食の後、チェックアウトし、
 荷物を預けて地下鉄で初めてミラノの中心部へ。
 ミラノにはダ・ヴィンチの「最後の晩餐」以外に見たいもの、
 見せたいものは大聖堂くらいなので、最後の半日でミラノ観光
 とした。
 楽しみにしていた「最後の晩餐」は、出発の1ヶ月前、ようやく
 雑用から少し解放されつつあるときに予約を取ろうとしたら、
 既に9月末まで一杯だった。

 大聖堂に着いた頃、雨が降り出した。初めて傘を使う。
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         (ミラノの大聖堂の前で)

 大聖堂を最初外からじっくり見て、そして中に入る。
 ゴシック様式というのがどんなものか、ケルンの大聖堂より
 わかりやすいかもしれない。
 娘はここでもろうそくを買って備える。

 大聖堂の道を挟んで隣にあるデパートでおみやげを探すが、
 見つからず。
 ミラノの古くて美しいガレリア(アーケード)を見て、
 地下鉄でホテルに戻る。
 ホテルに戻った頃には雨も上がっている。

 中央駅横からバスでリナーテ空港へ。
 ミラノには大きな国際空港のマルペンサと、主にヨーロッパ
 内航路のリナーテがある。
 帰りはパリ経由なので、リナーテから出る。

 少し早目に着いたらチェックインカウンターに人がいない。
 娘に、反対側のカウンターにいる方に私達が待っている
 ところが正しいか聞いてきてもらったら、正しいけど2時に
 ならないと開かないと言われたそうだ。
 2時になり係員が来た時、私の母は娘の英語力にホントに
 感心していた。
 私には英語力よりも度胸の方が感心に値すると思える。

 チェックインの手続きをした後、免税店などでおみやげを買う。
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          (リナーテ空港にて)
  
 途中経由のパリ・シャルル・ドゴール空港ではフィンランドに
 1年間留学していて、これから帰国するという女子高校生と
 話した。
 娘と「フィンランドも行ってみたいね」という話をした。

 パリからの帰りの飛行機では娘はゲーム、私は映画「ヒックと
 ドラゴン」やその他の映画を楽しんだ。
 娘はまた座席上で横になって眠り、(私の母は娘の足で時々
 起こされた)成田に着くまで起きなかった。

7月30日(金)

 定刻より早く午後2時前に成田着。
 荷物を取って税関を抜けようとすると、全部の荷物を開けて
 調べられた。
 娘のパスポートのハンコの多さと、私達大人の少なさ(更新
 したばかり)が異様におもわれたのか...。

 成田から福岡の便が遅かったので、リムジンバスで羽田に
 移動し、主人と会う。
 主人は2月末に大腿部から移植した神経で、麻痺していた右腕が
 肩まで持ちあがるようになったが、指先はまだまだである。
 娘はおみやげを渡して、さっそく旅行のことを話し始める。 

 一緒に軽く食事をした後、主人と別れ、あわただしくゲートに
 向かったが福岡行きの飛行機は1時間も遅れていた。

 午後6時頃、福岡に向け出発。
 成田まで熟睡した娘は起きていたが、私はいつものように気を
 抜くと寝る状態で福岡に。自宅に帰りついたのは午後8時半頃。
 私の父にお土産を渡し、写真を見たり。
 私の母は「やっぱり家が一番!」と言っていたが、娘はどんな
 気持ちでいるのだろうか。


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  ■ 全体を通して
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 今回は私の仕事の関係で、本来予定していた旅程より2日短く
 なったため、かなりあわただしい旅行だった。
 イタリア人のアダは毎年バカンスを2カ月くらい取っているが、
 私達の今回の旅行を「信じられない」と言っていた。

 娘は今回は昨年以上に成長し、何でもほぼ一人でできるように
 なった。
 同年代のお友達もできたし、もう一人でも大丈夫かな?

 旅行費用に関しては

  ・航空運賃 娘約 20万 (大人はひとり約24万)
    1度キャンセルして取り直したので、キャンセル料込み。

  ・現地の鉄道や地下鉄等交通費 みんなで約4万
    レールパスを買わずに近場だったので安かった。
    でも、パスがないと窓口で並ぶ必要があった。
    (自動券売機でもカードが使えたようだ)

  ・ホテル 1泊平均1部屋(3人で)約 1万8千円
    ミラノのホテル5泊をキープしたままトリノのホテルを
    取ったので、本当はもう少し安いはず。

  ・博物館、テーマパーク、遊覧船など みんなで約2万円 

   +食事、お土産代
        
 娘にこんどはどこに行きたいか訪ねたところ、ドイツ人
 留学生がもうすぐ帰国するので、冬にミュンヘンなどの
 クリスマスマーケットに行きたいとのこと。
 だったら、まずはドイツ語の勉強かな?

 今回は私の母には少し身体的負担が大きかったようで、
 「もうこれで外国は最後でいいかな」と言っていた。
 忙しかったとはいえ、私の下調べ不足は反省すべき点。
  

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